彼らと出会えた幸せに、ありがとう。

砂漠

砂漠

4月。大学に入学して初めての飲み会で、僕は彼らに出会った。


隣に座って声をかけてきたのは、やませみみたいな髪型をした鳥井。
彼に引きずられるようにして知り合うことになったのは、まるで陽だまりにいるような雰囲気の女の子、南。
遠くの席に座っている無表情の美女、東堂を遠目で眺めていると、突然一人の男が飛び込んできた。
「その気になればね、砂漠に雪を降らすことだって、余裕でできるんですよ」
自己紹介代わりの演説で断言した彼の名は、西嶋といった。


その後、奇妙なきっかけで繋がった僕らは4年間をこの街で一緒に過ごすことになる。

あの護られた場所で、確かにわたしは愛しく思えるものを手にしたんだ。
そして、ほんの少し変わって、この砂漠に踏み出していったんだ。
読み終えてから、そういう温かい想いにゆっくりと満たされていくのがわかりました。


偶然にも、わたしは彼らと同じ場所で学生時代の6年間を過ごしています。
主人公の北村のように『鳥瞰型』に徹することもなく、かといって『とにかく今を楽しもう!』でもなく、卒業後のことをちらちらと考えながら、とにかく堅実に(たまにはちょっと遊んでみたりして)と心がけた6年間。
当たり前ですが、彼らのような友達と巡り会い、彼らのような経験をしたわけではありません。
最初はそれがなんだか悔しくて、彼らが羨ましくて遠目でみるように読んでいました。たぶん、卒業式に声をかけてきた彼にちょっと似ている感じで。
でも、読み進めていくうちにその気持ちは薄まっていきました。彼らのたわいもないやりとりや、感じていること、呟き(西嶋の場合は演説になっちゃうけど)によって描かれる日常は、わたしのかつての日常。そういう気持ちが強くなっていったからです。
まるで彼らと一緒に過ごしているような気持ちで最後まで読みました。そして、彼らに出会いたい、共に時間を過ごしたいと思いました。
でも、彼らと過ごせなかったわたし自身のあの時間を、前よりもっと愛しく思えるようにもなったのです。


四季を章立てにして、彼らの物語は語られています。
この作品で良いなあ、と思ったところのひとつが、語られるできごとが、「いろいろあったことのなかのひとつ」という位置におかれていることでした。『いつも一緒にいた僕らの4年間』ではなくて、まるで何もない日や、それ以外の人たちとの関わりがあって、時には疎遠になったりして過ぎていった時間。それが振り返ってみると、点々と存在する『一緒にいた時間』が綺麗に繋がってひとつの物語のようになる。


いつも一緒にいるわけじゃない。
でもまるでいつも一緒に楽しいことや辛いことや嬉しいことを感じていたように思える。
そういう友人に巡り会えることは本当に幸せなんだと、心から思いました。